7300日を生きる

人生、残り7300日。

7298→好きという話

一日、雨が降ったり止んだりしてた。

客足も遠く、閑古鳥が鳴くとはまさに今日のような事を言うのだろう。

 

ぼんやりとした雰囲気の店内で、ぼんやりした私は、昨日書いた「やりたい事」について、改めて今日ぼんやりと考えていた。

 

その中の一つに、

「心の底から好きな人に出会う」があった。

 

わたしには今、お付き合いしている人がいる。学生時代に出会って、かれこれ2年半ほど経つ。真面目で、神経質で、幼いところもあるが愛情深い人だ。

 

卒業後、私と彼は電車で4時間ほどの距離感になった。遠距離とはいえないけれど、頻繁には会えない距離。

 

正直あまり恋愛体質ではない私にとって、月に一度会えるかどうかの距離は都合がいい。そもそも卒業後、違う環境で一年半続いているのはおそらく遠距離だからという理由もある。

 

そんな彼から最近、同棲の話が出た。

 

前々から「一緒に暮らしたい」という話は出ていたけれど、初めて具体的になった気がする。

 

いつかこの人と結婚するのだろうか、と考えたことはあった。友達の期間も長かったから、お互いによく理解し合えていると思う。私の根本的なダメなところを彼は許してくれるし、何より私を好きでいてくれることを、私自身が心の底から感じられる。

 

私が一番辛かった時期に、励まし続けてくれたのもその彼だ。

 

だけど、どうしてか、ずっと、「絶対に別れたくない」「この人以外ありえない」と思った事がない。

 

もしも彼に別れを告げられたとしても、果たして私は涙が出るだろうか。悲しいと感じるだろうか。

 

そもそも数カ月に一度しか会わない時点で、彼のいない生活は当たり前になっている。心の支えになっているのかと言われると、それが支柱だとは思えない。

 

仲のいい友達には「なんで付き合ってるの?」と聞かれる。「好きなの?」とも。

そのどちらにも、私はいつも曖昧にこたえるしかない。

 

 

きっと、好きではないのだろう。

 

そう言うと語弊があるが、おそらく私にとって彼は替わりがきいてしまう存在なのだ。

 

私を全力で愛してくれるから好き。

かわいいと褒めてくれるから、「なのはは凄いな。」と褒めてくれるから。

 

その承認欲求が満たされた瞬間、私は幸せを感じている。人間としていかがなものかと思うが、おそらくそう言う事だ。

 

 

だから、結婚を前提に同棲をすると話がなると途端に気持ちが変わってしまった。

 

この人と残りの人生を?

 

わたしにはやりたい事が山ほどある。残り寿命20年しかない私にとっては、それはやりたい事の優先順位を著しく変動させることだ。

 

真剣に考える必要がある。

そう思った矢先、彼とのLINEのやり取りでイラッとする出来事があった。いつもなら堪えてやり過ごすところを、今日は「それはおかしい。不愉快」と指摘してみた。

 

彼は私が怒っていることを笑った。

そして茶化した。

挙げ句の果てに、最後には彼にとって私が怒っていることの本質すら伝わっていない事がわかった。

 

私に言わせれば、トンチンカンな結論で終わらせてしまった。残ったのは微妙な気まずさと、倍増した私のモヤモヤだけ。

 

事の発端であるLINEのやり取りは、今までもよくある事だった。内容は伏せるが、「わたしはあなたのお母さんじゃない!」と言いたくなるタイプの話だ。

 

ずっと「話せば分かってくれる」と思い込んでいたけれど、いざ蓋を開ければ、私と彼の間には大きな価値観の違いがあった。

 

悪意がないのはよく分かる。

だからこそタチが悪い。

お互い大人になろうと溜飲を下げたけれど、どちらも納得できていないのは明らかだ。

 

分かり合えない。

 

そう思った時に、私の中で彼の存在がいかに脆いものか思い知った。本当にエゴでしかなかった。自分を愛してくれる彼氏という存在が好きだったのではないか。

 

会っている時は、それでも愛情を感じたりしたけれど、それを今は思い出せない。

 

嫌だと思うことの価値観がずれる人と、一緒にいれるだろうか。何かやりたいことを犠牲にしてまで、私は彼を望まない。

 

 

今週末、わたしは久しぶりに彼の家へ行く。

彼の誕生日プレゼント代にするつもりだったお金で髪を切って、とびっきりお洒落して、別れ話をしにいく。

 

会って、話して、やっぱり好きだと思って、なんて事なしに「今度プレゼント渡すね!」と言えるだろうか。

 

それとも本当に、そのままわたし達は他人になるのだろうか。