7300日を生きる

人生、残り7300日。

7297→夢見るお葬式

 父が、お葬式に行ってきた。

 

知り合いの奥様が亡くなったらしい。

父の先輩であるご主人は、悲しみに暮れたまま喪主を務めた。

 

生まれてこのかたお葬式に行ったことのない私は、この国では、大抵の場合、その人の死を一番悲しく感じる人が仕切らなければならないシステムが不思議でならない。

 

一番悲しい人が、泣くのを堪えて、集まった人々の前に気丈にも立つのだ。なんて酷な、と思う反面、もしかしたらそうやって最愛の人を送ることで、私たち日本人はは半強制的にも、お別れを告げる機会を得てきたのかもしれない。

 

どうにも昔から人の死が恐ろしい。

もっと言うと、お別れが嫌いだ。

 

もちろん別れが好きな人はいないだろうけれど、私の場合は、悲しいと感じる前に自分の感情を誤魔化してしまう。うまく説明できないけれど、そうやって、何度かのお別れをしてきた。

 

心のザラっとした部分に触れる手前で、薄い板を引いて、そこに触れないように。

 

だから、今まで卒業式でも泣いたことはない。友達に絶交された時も、彼氏と別れた時も、表面的な悲しさだけを受け取って、心の底から悲しむことがないように、気持ちを茶化してきた。

 

 

そこでお葬式の話に戻るが、

例えば私が死んでしまって、霊体になって、お通夜やお葬式に来てくれた人たちの様子を見ているとしよう。

 

集まってくれるぐらいなのだから、きっとみんな悲しんでいるだろう。それが耐えられない。悲しんで、手を合わせて、そうしてその人たちは私に別れを告げる。死んだのは自分なのに、きっと私はそれが気にくわないに違いない。

 

そんな悲しみに満ちたお別れ会をするくらいなら、一人一つ、私との爆笑エピソードを持ち寄って、献花のたびに一分間スピーチしてほしい。

 

赤ちゃんの頃の私は醜い猿のようだったらしいから、それを笑ってくれてもいい。もしくは学生時代の私の失敗を誇張して話してくれてもいい。

 

そんなお葬式なら、多分だけど、私でも満足できる気がする。

 

、、、と、父に話したら「バカだ」と笑っていたが、娘は、実は結構まじでそんなお葬式に夢を見ている。