7296→懐かしさの話
人は、会えなくなった人の声から忘れるのか、顔から忘れるのか。
ずっと昔にそういう台詞を、何かで読んで、それからずっと覚えている。
何となくだけど、顔から忘れていくのではないだろうか。人間の視覚情報ほど弱いものはないと思う。
そういう意味で、一番記憶に深く刻まれるのは、匂いだと思っている。
ふとした時に嗅いだ香りで、ずっと忘れていたはずの情景を思い出すことがある。
それは、古い本の香りだったり、カビ臭い服の香りだったり、誰かに抱きついた時の匂いだったり、様々だけど、きっと誰にだってそういう事があるのではないか。
そういえば、クレヨンしんちゃんの映画で、大人たちが昭和へ帰る話があった。私の記憶に間違いがなければ、あの時大人たちを昭和へ戻すために使われた薬も、「昭和の匂い」だった気がする。
そう思うと、本当に大切なものは目には見えないという、どこかの王子様の台詞はまさにその通りだ。
目で見たことを忘れても、心はちゃんと覚えている。人の細胞は日々新しくなって、十年前に私を作っていたものとは完全に違っているけれど、しっかりその情報は伝達されている。
わたしは、ご褒美のように遠い昔を思い出すたびに、自分の中に積もる歴史を尊く思う。
7297→夢見るお葬式
父が、お葬式に行ってきた。
知り合いの奥様が亡くなったらしい。
父の先輩であるご主人は、悲しみに暮れたまま喪主を務めた。
生まれてこのかたお葬式に行ったことのない私は、この国では、大抵の場合、その人の死を一番悲しく感じる人が仕切らなければならないシステムが不思議でならない。
一番悲しい人が、泣くのを堪えて、集まった人々の前に気丈にも立つのだ。なんて酷な、と思う反面、もしかしたらそうやって最愛の人を送ることで、私たち日本人はは半強制的にも、お別れを告げる機会を得てきたのかもしれない。
どうにも昔から人の死が恐ろしい。
もっと言うと、お別れが嫌いだ。
もちろん別れが好きな人はいないだろうけれど、私の場合は、悲しいと感じる前に自分の感情を誤魔化してしまう。うまく説明できないけれど、そうやって、何度かのお別れをしてきた。
心のザラっとした部分に触れる手前で、薄い板を引いて、そこに触れないように。
だから、今まで卒業式でも泣いたことはない。友達に絶交された時も、彼氏と別れた時も、表面的な悲しさだけを受け取って、心の底から悲しむことがないように、気持ちを茶化してきた。
そこでお葬式の話に戻るが、
例えば私が死んでしまって、霊体になって、お通夜やお葬式に来てくれた人たちの様子を見ているとしよう。
集まってくれるぐらいなのだから、きっとみんな悲しんでいるだろう。それが耐えられない。悲しんで、手を合わせて、そうしてその人たちは私に別れを告げる。死んだのは自分なのに、きっと私はそれが気にくわないに違いない。
そんな悲しみに満ちたお別れ会をするくらいなら、一人一つ、私との爆笑エピソードを持ち寄って、献花のたびに一分間スピーチしてほしい。
赤ちゃんの頃の私は醜い猿のようだったらしいから、それを笑ってくれてもいい。もしくは学生時代の私の失敗を誇張して話してくれてもいい。
そんなお葬式なら、多分だけど、私でも満足できる気がする。
、、、と、父に話したら「バカだ」と笑っていたが、娘は、実は結構まじでそんなお葬式に夢を見ている。
7298→好きという話
一日、雨が降ったり止んだりしてた。
客足も遠く、閑古鳥が鳴くとはまさに今日のような事を言うのだろう。
ぼんやりとした雰囲気の店内で、ぼんやりした私は、昨日書いた「やりたい事」について、改めて今日ぼんやりと考えていた。
その中の一つに、
「心の底から好きな人に出会う」があった。
わたしには今、お付き合いしている人がいる。学生時代に出会って、かれこれ2年半ほど経つ。真面目で、神経質で、幼いところもあるが愛情深い人だ。
卒業後、私と彼は電車で4時間ほどの距離感になった。遠距離とはいえないけれど、頻繁には会えない距離。
正直あまり恋愛体質ではない私にとって、月に一度会えるかどうかの距離は都合がいい。そもそも卒業後、違う環境で一年半続いているのはおそらく遠距離だからという理由もある。
そんな彼から最近、同棲の話が出た。
前々から「一緒に暮らしたい」という話は出ていたけれど、初めて具体的になった気がする。
いつかこの人と結婚するのだろうか、と考えたことはあった。友達の期間も長かったから、お互いによく理解し合えていると思う。私の根本的なダメなところを彼は許してくれるし、何より私を好きでいてくれることを、私自身が心の底から感じられる。
私が一番辛かった時期に、励まし続けてくれたのもその彼だ。
だけど、どうしてか、ずっと、「絶対に別れたくない」「この人以外ありえない」と思った事がない。
もしも彼に別れを告げられたとしても、果たして私は涙が出るだろうか。悲しいと感じるだろうか。
そもそも数カ月に一度しか会わない時点で、彼のいない生活は当たり前になっている。心の支えになっているのかと言われると、それが支柱だとは思えない。
仲のいい友達には「なんで付き合ってるの?」と聞かれる。「好きなの?」とも。
そのどちらにも、私はいつも曖昧にこたえるしかない。
きっと、好きではないのだろう。
そう言うと語弊があるが、おそらく私にとって彼は替わりがきいてしまう存在なのだ。
私を全力で愛してくれるから好き。
かわいいと褒めてくれるから、「なのはは凄いな。」と褒めてくれるから。
その承認欲求が満たされた瞬間、私は幸せを感じている。人間としていかがなものかと思うが、おそらくそう言う事だ。
だから、結婚を前提に同棲をすると話がなると途端に気持ちが変わってしまった。
この人と残りの人生を?
わたしにはやりたい事が山ほどある。残り寿命20年しかない私にとっては、それはやりたい事の優先順位を著しく変動させることだ。
真剣に考える必要がある。
そう思った矢先、彼とのLINEのやり取りでイラッとする出来事があった。いつもなら堪えてやり過ごすところを、今日は「それはおかしい。不愉快」と指摘してみた。
彼は私が怒っていることを笑った。
そして茶化した。
挙げ句の果てに、最後には彼にとって私が怒っていることの本質すら伝わっていない事がわかった。
私に言わせれば、トンチンカンな結論で終わらせてしまった。残ったのは微妙な気まずさと、倍増した私のモヤモヤだけ。
事の発端であるLINEのやり取りは、今までもよくある事だった。内容は伏せるが、「わたしはあなたのお母さんじゃない!」と言いたくなるタイプの話だ。
ずっと「話せば分かってくれる」と思い込んでいたけれど、いざ蓋を開ければ、私と彼の間には大きな価値観の違いがあった。
悪意がないのはよく分かる。
だからこそタチが悪い。
お互い大人になろうと溜飲を下げたけれど、どちらも納得できていないのは明らかだ。
分かり合えない。
そう思った時に、私の中で彼の存在がいかに脆いものか思い知った。本当にエゴでしかなかった。自分を愛してくれる彼氏という存在が好きだったのではないか。
会っている時は、それでも愛情を感じたりしたけれど、それを今は思い出せない。
嫌だと思うことの価値観がずれる人と、一緒にいれるだろうか。何かやりたいことを犠牲にしてまで、私は彼を望まない。
今週末、わたしは久しぶりに彼の家へ行く。
彼の誕生日プレゼント代にするつもりだったお金で髪を切って、とびっきりお洒落して、別れ話をしにいく。
会って、話して、やっぱり好きだと思って、なんて事なしに「今度プレゼント渡すね!」と言えるだろうか。
それとも本当に、そのままわたし達は他人になるのだろうか。
7299→やりたいことの話①
寿命を設定して1日過ごして、
我ながらこれはいい案だったなぁと感じてる。
仕事でイライラしても「あ〜今不機嫌だな。貴重な生存時間なのになあ。」みたいに、ちょっと客観的になれてしまうのだ。
正直、そこで立て直せなかったのは反省点だけど、まずは気づけたのだから良しとしたい。
さて。
今日は、残り7299日でやりたいことリストを作ろうと思います!
《絶対やりたい事》
・一人でフィンランドへ行く
・英語を話せるようになる(日常会話レベル)
・先生になる
《やりたい事》
・医療事務の資格を取る
・47都道府県、制覇旅行
・心の底から好きな人に出会う
今、思いつくのはこれくらいかな〜💡
フィンランドに強いこだわりがあるのは、ずっと憧れていて、遂に今年の夏、旅行に行きまして。そこで、「わたしここに住む!」と心の底から思ってしまったのです(無謀)
それに併せて、英語が話せたらもっとコミュニケーションの幅が広がるんだなあと感じて。苦手でずっと避けてきたけど、これは克服したい!
先生は、教員免許は持っているものの「私みたいな人が先生なんで務まらない、、」と一度諦めた夢。だけどこの一年でいろいろ経験して、私みたいな人生失敗ばかりの先生がいてもいいんじゃないかな?と思えたのです。
何より、どこかで諦めきれない夢なら、やってみたほうがいい!だってもう7299日しか私には残ってないのだから!
あくまで現時点の夢なので、優先順もやりたい事もきっと変わっていくと思うけど、それはそれでOK🙆♀️🙆♂️
どうやって叶えて行くかもふんわりプランがあるから、それは今後書こうと思います!
7300→死んでしまうはなし
聖武天皇という人物を覚えているだろうか。
歴史に疎い人でも「奈良時代の天皇だっけ?」と記憶の片隅にあるかもしれない。
多少勉強した人なら「奈良の大仏を建立した天皇だよね」となるのかな?
そして歴史が好きな人からしたら、「彼は藤原政権という名の時代に翻弄された一人と言えるよね。ソースは続日本書紀。」と語り出すかもしれない。ちなみに私は歴史学科出身です。
兎にも角にも、聖武天皇。
彼の治世は散々で、病気が流行るわ天災が起こるわ、その度に都を移していた。そして結局、仏様頼みで東大寺の大仏を建立。
「結局は仏頼みかいwww」と笑ってしまうような歴史のはずが、どうにも笑えなくなってきた。
2018年。平成最後の夏。
未曾有の災害ラッシュなのです。
西で最強クラスの台風、来年稀に見ない猛暑、大阪、北海道と相次ぐ震度6クラスの地震。
「平成が終わると何かもっと悪いことが起こるのでは、、」と思ってしまう。聖武天皇が都を変えたり大仏を建立した気持ちも、ちょっと理解できてしまう。
まあ、そうは言っても、私の住む神奈川は幸いにも災害の被害を受けていない。日常は滞りなく過ぎる。
2018年9月7日。
父が録画していたNHK特番『MEGAQUAKE巨大地震』を観ていた。仕事に行く前のバタバタした時間だったのでほとんど観れなかったけれど、これから30年の間に南海トラフが起こる可能性が上がった。
80パーセント。
80パーセントの確率で南海トラフが起こる。
80パーセントなんて、ほぼ約束されたもの同然。
だって「この時間は8割方合格できます💯」って言われたら「いただきました!」ってなるもん。
南海トラフは起こる。
私の住んでいる街は、自転車15分で海へ行ける。
南海トラフが来たら、家はあっという間に津波に飲み込まれる。そう予想されてる地域だ。
なんとなく、幸せに生きていくと思っている。
おばあちゃんになれると思っている。
思っていた。
でももしかしたら、違うかもしれない。
寿命でなんて死ななくて、
心の底からそう思えるほどのリアリティはないけど、今までで一番死を近く感じた。
とは言っても、じゃあ引っ越そう!地震の被害が少ない場所に!とはならない。だって、今の生活を変えて動こうとできるほど、やっぱリアリティはないもんね。少なくとも今はね。
だから私、考えました。
「20年後、私は死ぬだろう。
こんなにも健康で、まあまあ幸せに生きてても、20年後に死ぬ。
7300日後、死んでも後悔しないように生きよう。」
やりたいこと全部やろう。
時間は有限だ。命は有限だ。
残り70年あると思ってた人生は、実はハリボテだ。
もう20年しかない。
やりたい事、全部やろう。
後悔しない毎日にしよう。
今日の決意を、20年後の私が「GJ!愛してる!」って言ってくれるように。
そんなこんなで、寿命残り7300日と設定した、わたし、なのは24歳、職業フリーター。ブログ、はじめました。
追伸
なんで20年にしたかというと、鳥頭の私はちょっと歩くとなんでも忘れるので、「30年以内に南海トラフ発生確率80パーセント」を「20年以内」だと記憶改竄して考えたからです。
いいんですいいんです、残り10年はもしあれば、執行猶予ってことで。